ニョキリサ    森山華伊
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ニョキ歴

更新日:2015/03/29

ニョキ歴 ~ 私の履歴書 ~
  プロフィール
流浪の旅
  枕元のお告げ・インド行脚(1997/02/27 ~ 1997/04/06)
  「美」と「生」の探求・自転車日本一周(1998/01/01 ~ 1998/08/19)
10 数年のブランクから再び
  編入学・再び大学生に (2008/05 ~ 2010/03)
  オーケストラの門を叩く(2012/08/26)
  子供たちと連弾(2013/07/21)
  自己ベストの良い音(2014/02/15)










プロフィール



撮影: 2015 年 3 月





森山 華伊(もりやま かい)


1976 年 東京都豊島区生まれ 埼玉県所沢市育ち

1981 年 クラシックピアノを始める(5 歳)

1994 年 武蔵野音楽大学附属高等学校ピアノ専攻 卒業

1996 年 福井直秋記念奨学生第一種に選ばれる

1997 年 40 日間 インドへ放浪/武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ専攻 退学

1998 年 8 ヶ月半 日本一周自転車一人旅

2001 年 ミルテの花女声合唱団に所属

2002 年 ビーズ、アートクレイシルバー、ガラスフュージング、樹脂、ステッチ、レザー、ディップアート等で創作・展示・販売活動を始める

2008 年 ホームページとブログを開設

2009 年 大阪芸術大学奨学生に選ばれる

2010 年 大阪芸術大学芸術学部音楽学科 卒業

2011 年 所沢から神戸へ転居/クラシックピアノを基礎から始める

2012 年 オーケストラに入団、ティンパニ・パーカッションを始める

2013 年 戸籍から改名/エレキギターとジャズピアノを始める/画を描き始める




  これまでに、ピアノを梅谷 明、長井 充、二ッ森比呂志、釈迦郡洋介、ソルフェージュと声楽を吉池道子、合唱を宇野功芳、福島章恭、和声学を赤石敏夫の各氏に師事。

 現在、クラシックピアノ、ジャズピアノ、ジャズ理論、作曲、DTM、パーカッション、エレキギターを修得中。


職業

 病院の中央材料室で滅菌の仕事をしています。
 オペで使用された機材を洗浄後、組立、滅菌、払出しへと循環し、毎日 40 ~ 50 件ものオペが行われるので、とても忙しく厳しい職場ですが、やりがいと喜びのある仕事で好きです。


資格取得

 音楽通論インストラクター・和声法インストラクター・ビーズアクセサリーインストラクター・医療事務(診療報酬請求事務能力認定試験合格・医療事務管理士)・調剤事務・珠算能力検定 2 級・PSTA ピアノ指導者・ヤマハ音楽能力検定ピアノ演奏グレード 13 ~ 11 級試験官、MIDI 検定試験 3 級など


通信教育・技能講習修了

 写譜・点字楽譜・ビーズ織り・シルバーアクセサリー・ガラスフュージング・ポリマークレイ・アロマテラピー・レセプトチェック・医療事務コンピュータなど


好きな音楽家

【作曲家】
 ベートーヴェン、J.S.バッハ、シューベルト、ブラームス、ブルックナー

【指揮者】
 フルトヴェングラー、トスカニーニ、ムラヴィンスキー、シューリヒト、モントゥ、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、アンセルメ、パロット

【演奏家】
 バックハウス(pf)、カーゾン(pf)、リパッティ(pf)、モイセイヴィッチ(pf)、シゲティ(vn)、ノラス(vc)


好きな曲

【声楽曲】
 ・フォーレ:レクイエム
 ・バッハ:ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲
 ・ヘンデル:メサイア
 ・ヴェルディ:レクイエム、椿姫

【交響曲】
 ・ベートーヴェン:全曲
 ・ベルリオーズ:幻想交響曲
 ・シューベルト:グレイト、未完成
 ・ブルックナー:第 8 番、第 9 番
 ・フランク:ニ短調
 ・メンデルスゾーン:スコットランド、イタリア
 ・レスピーギ:ローマ三部作

【協奏曲】
 ・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲
 ・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
 ・ラロ:スペイン交響曲

【器楽曲】
 ・ベートーヴェン:ピアノソナタ全曲
 ・シューベルト:即興曲全曲
 ・バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ



 最近はクラシックの他に、ジャズやロック、シャンソン、ケルト音楽も聴きます。

 詳しくはこちらへどうぞ



使用音楽ソフト

 ・Cubase
 ・ProTools LE
 ・finale


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枕元のお告げ・インド行脚 1997/02/27 ~ 1997/04/06 (20 ~ 21 歳)

  一晩のうちに金縛りに何度もあうことがよくありました。

  たしかこの時もそうでした。

  夢と現実の間をまどろみながら、インドへ行く夢をみました。

  「これだ!」と直感した私は、翌日にはパスポートやビザの手続きに走っていました。

  海外は初めて、ヒンズー語はもちろん英語もできないことも忘れて。

  「なんとかなる、ここに何かある!」

  困難な境遇に身を置いて、「生きるとは何か」の問答をしたかったのです。

  もちろん両親には秘密です。

  しばらく留守にすることを置手紙にして、逸る気持ちで家を出ました。







はじめてのパスポート









インドレイルパス






鉄道の時刻表 "Trains at a Glance"




タージ・マハル
1997/03/04

エローラ石窟寺院群
1997/03/11




マテラン登山鉄道
1997/03/12
ネラール +++++ ダダール

ニルギリ山岳鉄道
1997/03/16
メットパーラヤム +++++ ウダカマンダラム




ダージリン・ヒマラヤ鉄道
1997/03/20
ニュー・ジャルパイグリ +++++ ダージリン

アジャンタ
1997/03/10



私の行き当たりばったり 40 日間 インド鉄道の旅コース


成田 ~  デリー +++++ ジャイプール +++++ アーグラ +++++

カジュラホ +++++ サンチ +++++ アジャンタ +++++ エローラ +++++

ムンバイー +++++ チェンナイ +++++ ダージリン +++++

カルカッタ +++++ ガンジス河 +++++ デリー  ~ 成田







ジャーマー・マスジッド
1997/04/04

ジャイプール
1997/03/01







アーグラーフォート
1997/03/03

デリー・フェステバル
1997/03/30







ハワー・マハル
1997/03/02

カジュラホ
1997/03/07




シーク寺院で座禅
1997/02/28

サリーを着てナマステ~

 何度かインド人のご家庭にお世話になりました。

 子供たちと一緒に料理を作ったり遊んだりもしました。

 生水は飲んではいけないとガイドブックに書いてあったのですが、御呼ばれされたこともあり断れず、生ものの飲食もしましたし、地べたで調理した食事もいただきました。

 サンチ(地名)で家庭料理をごちそうになった晩、ベッドで横になっていると、急速に体温が上昇し、体中の血液が異常に騒ぐのを感じ、天井に張り付いて動かない桃色のトカゲを見つめながら、「このままここで死ぬんだな・・・」と思いました。

 幸いなことに翌朝目覚めると、熱は下がり平常に戻っていました。

 帰国当日は、マトンのカレーを食べてひどい嘔吐と下痢になりましたが、韓国人の方が病院に運んでくださり、なんとか日本へ帰ることができました。

 これで免疫がつき、身体も丈夫になったのではないかと思います。

 毎日何かしらのハプニングがありましたが、旅の終盤には慣れっこになっていて、躓きも楽んでしまうといった余裕が生まれていました。












「美」と「生」の探求・自転車日本一周 1998/01/01 ~ 1998/08/19 (21 ~ 22 歳)

 インド行脚から帰国後、未だ悶々とした日々を送っていました。

 この人生で何がしたいのか、何ができるのか、生と死、善と悪とは?音楽とはなにか・・・。

 守られて与えられるだけの空虚な日々。


 美しいとは、果たして本当に美しいのか、永遠に、絶対に、万人に美しいのか。

 頭で知るのではなく、身体で感じてみたい。

 汚いものに憧れ、泥まみれの窮地に身を置き、表裏一体の苦しみと喜びを繰り返し感じながら、自分を知りたいと思いました。

 どこかに答えがあると信じ、インド行脚から翌年、自転車に寝袋、テント、自炊道具を積んで旅に出ました。

 もちろん、両親には秘密で。

 1998 年の元旦に、埼玉県所沢市から太平洋に向かって出発。

 富士山の麓に着くころ、記録的な大雪が降るとは知らず・・・。

 日本中のたくさんの人々に助けられ、励まされました。

 私のくたびれた自転車を見て、「うちに泊まっていきなさいよ。」と、食事からお風呂から世話してくださるご家庭もありました。

 母と同じくらいの年齢の女性と一緒に、布団ひとつで寝たこともあります。

 海岸線の国道を主に走りましたが、日本国中何十人もの長距離トラックの運転手さんが、運転席から「がんばれ!」のサインをくれたこと、脳裏に焼き付いています。






お宮の松
1998/01/04

富士山
1998/01/07




籠坂峠
1998/01/07
県境を超えるときの喜び!

日本地図の東海道のページ

熱海から十国峠、箱根峠、籠坂峠の道は一番厳しかった




沖縄県与那国島
1998/03/29
沖縄は、石垣島、西表島、小浜島、
黒島、宮古島、波照間、与那国島も走りました。

北海道宗谷岬
1998/08/14
北海道は、利尻島、礼文島、奥尻島も走りました。




 答えを見つけるはずだった旅ですが、日本国中どこを探してもありませんでした。

 それは一番近い自分の中にあったからです。












編入学・再び大学生に 2008/05 ~ 2010/03 (32 ~ 34 歳)



 2009 年から 2010 年にかけての最後の入院中では、通信の芸術大学で勉強しました。

 作曲家の先生に師事し和声法を学ぶと同時に、卒業制作で弦楽四重奏曲を作曲しました。

 昼間の体育館のピアノや、夜中のテレビ室のミニ電子ピアノを弾きながら作りました。

 たくさんの入院患者さんや病院スタッフさんに励まされて完成した作品です。

 またピアノを始めよう、作曲も深く学びたいという新たな希望ができました。

 後日、ProTools で打ち込みして録音したものがこちらです。





弦楽四重奏曲 ”アナムネーシス” 嬰ヘ短調 (2009 ‐ 2010)
 String Quartet "ANAMNĒSIS" in F sharp minor


SoundCloud
https://soundcloud.com/moriyama-kai



 上の手書きの楽譜から finale で楽譜浄書した譜面の一部。
 第 1 楽章の展開部の終わりから再現部の冒頭部分。
















オーケストラの門を叩く 2012/08/26 (36 歳)






 2011 年 11 月 13 日から、12 年振りにピアノのレッスンに通いはじめました。

 エチュードにバッハ平均律、曲というカリキュラムで基礎からやり直すことになりました。

 翌年、初心者でも OK なティンパニを募集している楽団をネットで探したところ、大阪に 1 ヶ所だけありました。

  1 ヶ月位悩みましたが、勇気を出して問い合わせ、 8 月 26 日に見学に行くことになりました。

 オーケストラはもちろん、合奏経験は皆無に等しく、楽器に触れたことも見たこともないのに、「ティンパニをやってみたい」という気持ちひとつで行きました。



 本当に初心者が来たのは初めてだったようで、楽団の方々も驚かれたでしょう。

 11 月にひかえている演奏会の「フィガロの結婚」と「フィンガルの洞窟」と「イタリア」の練習をしていました。

 話し合いの結果、打楽器の先生についてレッスンを受けることになり、入団の許可を得て、毎週、往復 5 時間かけて練習に通いました。

 入団から 8 ヶ月後の 2013 年 5 月 19 日に演奏会デビューができました。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲 第 2 番ではティンパニを、チャイコフスキーの交響曲 「小ロシア」ではバスドラムと銅鑼を、アンコールの「眠りの森の美女」ではグロッケンを演奏しました。

 どうしたらよい音が鳴るかについて、こんなに悩んだことは初めてでした。

 毎週日曜日に練習があると思うと、辛いことも乗り越えることができました。

 なぜティンパニがやりたかったかというと・・・

 大学時代の教職の授業で合奏がありました。

 私は数ある打楽器のうち、その時まったく人気のなかったバスドラムを選びました。

 合奏でバスドラムを打つたびに膨らむ高揚を抑えるのに人知れず必死でした。

 身体中を流れる血液が沸騰するかのように熱くなりました。

 あまりの熱狂に身体のサイクルがおかしくなるほどでした。

 大学のどの授業より合奏が楽しかったです。

 同時期に夢中で読んだベルリン・フィルのティンパニー奏者 テーリヒェンの著作、「フルトヴェングラーかカラヤンか」に深い感銘を受けたこともふと想い出しました。

 その昔の感動の組み合わせがきっかけで、オーケストラに入団できたことは本当に喜びでした。

 私の好奇心はその後も途絶えることはなく、2013 年 4 月 2 日からはエレキギターを、6 月 14 日からはジャズピアノも始めました。





















子供たちと連弾 2013/07/21 (37 歳)

 ある日勤務先の病院の社員食堂で、病院の案内の仕事をされている女性(H さん)に話しかけられました。

 お昼の休憩時間に和声の勉強やオーケストラのスコアを読む姿を見て気に留めてくれたようでした。

 なんと H さんも音大出身で最近までオペラ歌手をしていたとのこと。

 現在は病院勤務の他、自宅で子供たちにピアノを教えているというのです。







 音楽と関係のない病院の社員食堂で、ピアノの先生に出会えるなんて、とても驚きました。

 それからは、お昼の休憩が重なると一緒に食堂で会話を弾ませ、親しくなるのに時間はかかりませんでした。

 その 1 ヶ月後、H さんから、「今度ピアノの発表会があるの。生徒全員がソロと連弾をやるのだけど、私は忙しくて練習の時間がなかなかとれないので、連弾のセカンドを弾いてもらえないかしら。」とお話をしてくださいました。

 私は快諾し、後日譜面のコピーをいただいて練習しました。

 生徒は 14 名で、そのうち私が引き受けたのは小学 5 ~ 6 年生の女の子 3 名です。

 プログラムはチャイコフスキーの「花のワルツ」、バッハの「G 線上のアリア」、いきものがかりの「エール」の連弾です。

 特に「エール」が難しかったのですが、はじめてポピュラー音楽を弾きながら楽しいと感じました。

 この感動がきっかけで、ジャズピアノもやってみたいと思うようになったのです。

 本番前の 1 週間ではじめて生徒たちと合わせました。

 いつもひとりで練習するのとはちがい、椅子の座る位置も違うので、弾き始めの音の高さがわからなくなったり、手がよくぶつかったり、相方の手の下をくぐったりと、予想していなかった色々なことが起こるのでアタフタしました。

 これまで子供が苦手だったのですが、純真無垢な心に触れて、はじめて「かわいいな」と感じました。

 発表会の当日は裏方のお手伝いも子供たちと協力して、みんなでつくっていく過程もとても楽しく、学ぶことが多かったです。

 本番の演奏は緊張しながらも支えあい、素敵な音楽体験となりました。

 最後に、「エール」を一緒に弾いた 6 年生の女の子から、綺麗な花束と一緒にメッセージカードをもらいました。

 一生懸命に書いてくれていてとてもうれしかったです。

 今までの「戦う音楽」から、「楽しい音楽」へのいざない。

 少し肩の力が抜けて楽になりました。
















自己ベストの良い音 2014/02/15




 ピアノの発表会で、ブラームスのラプソディ 2 番を演奏しました。

 会社の友達が二人来てくれるということもあり、練習の時からボルテージがあがり、本番は数小節右手がわからなくなったものの、リハーサルよりも良い演奏ができました。

 スタインウェイのピアノの音色と、ホールの残響が耳に心地よく、今までの本番で一番心を込めて弾くことができました。

 これも、ピアノの先生の表現豊かな演奏スタイルに影響を受けていることや、昨年から学びはじめたジャズピアノによって感化されてきたところもあると思います。

 今後も様々な音楽に触れ、吸収し、感性を深めていきたいと思います。

 発表会を終えて一週間になりますが、全身で感じたピアノから伝わる波動が忘れられません。
 
 曲の最後、フォルテの和音が、自分が欲した通りの音が出せたので、「終わりよければすべて良し」と納得がいきました。

 課題もたくさん再確認できたので、次回に向けてまたがんばりたいと思います。




 後日、絵を描いてみました。

ラプソディ

(2014/02/22)


 















   

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